以下の文章はクラウドファンディングでの活動報告で掲載されたものを転載しております。
2019/06/23の記事です。
皆様、こんばんは。
今宵はプロジェクト追記として、小屋の建設が何処に行こうとしているのか?
今後の展望について語るシリーズです。
前回の活動報告では「どちらにしますか?」という2択の問いに対して
第3の選択「両方を得る」を提示して、
あっさりとそれが認可されてしまうという事案に皆さんは「どのように思われますか」というくだりで終わりました。
特殊な例であるように感じますが、海外での交渉の場面では、むしろ一般的手法だったりするらしいのでびっくりです。
ルール遵守の日本に対し枠組みを拡大することで常に主導権を握ろうとする先進国の外交姿勢は比べると意識に大きな開きがあります。
これが、対人間であれば、これまでと同じ対応でよろしいかと思いますが、
人工知能が広く普及してゆくであろう、遠くない未来社会では我々も大きく変わってゆく必要に迫られます。
人口知能の最大の特性として大量の情報を高速処理するという能力が挙げられますが、
それ以外にも、一般的な良識を持つ人間が「まさか」と絶句するような選択肢も解として導き出すという側面があります。
むしろ、ここが今回のテーマです。
将棋や囲碁での「電脳戦」では人工知能のこの側面が大きく浮き彫りにされています。
躊躇なく秒速で最善手を揺らぐことなく打ち続けることができる人工知能は対局中もさらに油断することなく学習しています。
「努力の天才」の化身が、最適解を想定外の急所に打ち込みます。死角はもちろん皆無です。
ディープ・ラーニングを取り入れた最新のAIは
過去の膨大な棋譜と現在の名人の戦略をプラスしたまさに人類の「集合知」を体現した存在といえるでしょう。
さて、何の話か見えなくなってきたので、ここで「二兎を追う者」に戻します。
もちろん、比喩ではありますが、今後はこの「二兎を追う者」ばかりが存在する社会になるだろうということです。
今後は「正しい選択を行う者」は人工知能が代行してくれるでしょう。
「選択肢を増やせる者」も人工知能が担うことになるかもしれません。
AIシステムを管理する側になれないのだとしたら、人間力を早急に見つめなおす必要があります。
正しさよりも可能性を創造できる者が必要です。
少しでも響く部分があれば、ご参加していただきたく思います。
「今回の話は何だか難しくて良く分からないや」という方は華麗にスルーしていただいて結構です。
引き続きDIY奮闘記としてお楽しみください。