前回は「根拠のある自信」の対を成すものとして「根拠のない自信」について触れて終わりました。信じる力の源となるべき根拠が欠落している状態でなぜか?自信がみなぎっているとか、意味不明です・・・・
「やれやれ、漫画の読みすぎだよ~」と笑い飛ばすのは簡単なんですがね。
例えば、「勝算は全くないけれども、逃げてはいけないと強く感じる場面」や「電撃に打たれたような運命的な出会い」など非論理的ではあるけれども否定のできない、こみ上げてくる激情があったり、なかったり、と・・・いろいろですが、皆さんはどうでしょうか。
「あの時、もし違う選択をしていたら・・・」と 過去の出来事のことを思い返し、フラッシュ・バックすることはないでしょうか。
もし、あの時・・・「自分の小さな心の声に従っていたら」と、つい自責の念にかられてしまったり、「あの時はあれが最善だったんだ。」と理論武装で塗り固めたりと、無駄に頑張るのはそろそろ止めにしたいなと思うこの頃です。
仕事上では「戦略で勝つ」とかウソぶいておりますが、正解なんて分からないのがまぁ、通常運転です。それでも、根拠は?と聞かれれば、「勘」ですよ。他者には理解してもらえないので「根拠なし」に該当してしまいますが、問題があるとすれば、この点だけです。
本人としては選択の根拠は直感です。
鍛えて叩き上げ、磨き上げた直感がわたしの根拠であると言わせていただきます。
ジョン・レノンの言葉です。
ぼくが5歳の時、母はこう言っていた。
「幸せこそ人生に必要なこと」。
学校へ行くと、将来の夢を尋ねられる。
ぼくは「Happy」と書いた。
みんなはちゃんと質問の意味を理解しろという。
だから、彼らに教えてあげたんだ。
「君たちは人生をわかってない」
わたしなりに幸せの定義を考えてみました。
「言葉」と「心」と「行動」が一致していること。
この条件を満たしているならば、少なくとも後悔はないと確信しています。
大切なことは「幸せになる」ではなく、「幸せである」こと。
そんな訳で、Don’t think,feel so Happy.
なのです。