吾輩はときどき猫である [その2 ]

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ブログ記事を連載&シリーズ化するつもりで「その1」と銘打ったものの,

新シリーズばかりで「その2」はどうした?の?と感じていた方がいたかもしれません。

お待たせしました!!待望の「ときどき猫その2」でございます。

(新しくサイトを立ち上げて、初めてコメントが付きましたので少し浮かれております。)

 

さて、前回はどんな話だったかと言いますと「最適解が支配する近未来への対応策を提案するよ~

と息巻いておりました。

さらに、解決のヒントは日本古来の伝統文化にあるべし!!請うご期待でござるよ。

と煽りまくったところで終わりました。

なんか、徳川埋蔵金伝説で穴掘り続けている怪しいオジサンみたいですが、

まあ、半分騙されたつもりで、しばしお付き合いください。

では、よろしくお願いします。

 

昨夜はハロウィンでしたね。渋谷の街はコスプレをした若者で大賑わいで

痴漢や窃盗など、あまり良い報道がされませんでしたが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。

何か良く分からないうちにイベントとして担がれて、騒ぎたいヤツらが集団でやりたい放題やっているといったイメージでしょうか。

現在ではバレンタインデーに匹敵する経済効果があるそうなので、各業界の大人の都合で無理やり盛り上げているという部分があるのかもしれませんが、

ここまで、定着するということはそれなりに必然性があるのかもしれません。

 

ハロウィンの元々の起源は古代ケルトのドルイドの信仰からが由来です。

ざっくり、言うとアニミズム(自然信仰) 万物や自然現象すべてに霊魂や精霊が宿っているという世界観は日本神道に通じるものがあります。

のちに生まれたキリスト教(一神教)に駆逐され、敗戦や植民地化によって、こうした土着の信仰は先進国では、ほぼ日本を除き絶滅状態であるのが現状です。

そういった古代の精神性が都市型のお祭りとして日本の若者の間で形を変えながらも受け継がれていると考えると、ちょっぴりセンチメンタルな気分にならないでしょうか?

 

自分ではない何者かに扮し、精霊や有象無象に姿を変えて、街を徘徊することが現代人に何かしらをもたらしている。と仮定してみましょう。

広がる格差社会。先行き不安な閉塞感、行き場のないストレス

それらが、認識されることなく、深層意識の深い闇の底に封じ込められ続けている日々。

名もなき、負の感情がカタチを成すことを許される夜。

妖怪や怪物、魔女や魔法少女に・・・果ては美少女戦士に変容することで、解放されるカオスの宴。

 

正しい行いではないかもしれませんが、人々の中に闇がある限りはどこかで解き放たれる必要があるでしょう。

ガラス工芸を語らなければならない立場ですが、いつかはここに切り込んでゆきたいと思っています。

次回はコスプレについてです。

その3もあるよ。たぶん・・・・

 

 

 

 

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