ナントっ!!
この吾輩シリーズを「ぜひとも、続けていただきたい」というお便りをいただきました。
自分の中ではそろそろ風呂敷を畳もうかという気分になっていたのですが、
こうなっては、引き伸ばし作戦に転じるしかないですナ。
それでは、長年我々を縛ってきた元凶に対し、もう一太刀浴びせてからこのシリーズの幕を降ろすとしましょう。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
学生時代には学校の先生やら先輩達から、何かと叱咤激励を受けるも
それらに反論する智恵も無く、モヤモヤだけが沈殿してゆくという不毛な時期が続きました。
時は昭和です。
今にして思えば、納得のいかないものを無理やり飲み込んで、先送りするという
ストレスのハイパー・インフレ状態でありながら、
それでいて、表面上はそれなりに適応していたのですから、我ながら歪んだ青年期だったと思います。
バブル期だったこともあり、多少の違和感や疑念なんてものは、時代の勢いに押しやられてしまって、
いつしか大人になってしまいました。
24時間戦えますか?
答えはNOです。
しかし、当時はこんなフレーズが流行ったんですね。
今回のテーマは「抗う」です。
いわゆる、「正論」に対してのアンチテーゼを掲げ、世の多数派に立ち向かってみたいと思います。
どこかで、こんな喩えを読んだ覚えがあります。
山の頂点ではすべての方向に転がる可能性を持っていますが、
ひとたび転がりだすと、360度の視界は失われ、
可能性の数字は加速度的にゼロへと近づいてゆき、
やがて約束された結末へと収束してゆきます。
人生の後半戦に突入している、中高年には沁みる話ですね。
先行き不透明な状況であるほど、
損切りからの小さな利益確定を細かく刻んで、大きく負けない戦術が正解です。
「やりたいことではなく、出来ることをやれ」
配られたカードでベストなパフォーマンスを確実に発揮することが求められる時代です。
「夢はあきらめるな」などと、今の若者に吹き込もうものなら
お前に責任が取れるのか!!と炎上しそうで怖いくらいです。
ですが、敢えて言わせていただきたい。
正しさで本当に幸せになれるのでしょうか?
すべてにおいて、完璧さを追求し、正確無比なるジャッジメントを体現しているかに見える優秀な人物が人知れず、
強迫性障害で通院していたりします。
極端な例ではありますが、想像以上に多くの人が疲れていることに間違いはありません。
肉体的にはドーピング出来ても、精神的な消耗は限界に来ていると感じている人が身近にいらっしゃるのではないでしょうか。
優劣を競うレースから少し距離を置き、コースアウトしてみるのもいいでしょう。
そして、時が経ち、立ち上がる力がわいて来たならば、
今まで背を向けてきた方向に向かって
歩き出してみるいうのはどうでしょうか。
皆が目指している方向とは全く反対の方向へ
人口過密な平野ではなく、山の頂を目指す自分だけの旅に出ましょう。
自分のかけがいのない人生に、「現状維持」という緩やかな下り坂はいらないと宣言するのです。
すると、可能性の数字はカウントダウンから一転し上昇ラインを描き出します。
山頂へのルート選択はもちろん、装備なども自分に合ったものを選べるし、速度も自由に変更が可能です。
そんなイメージです。
その一方で失敗するリスクも増大するので、恐怖心に向き合わねばなりません。
チャレンジを続けることの大切さは様々な偉人が語っておりますが、
今回は遅咲きの名優ヒュー・ジャックマン氏の名言をご紹介します。
(体育の補助教員→ピエロ→俳優という経歴)
「いつも新しい何かを学べることを選んでいます。
それには未知の領域にいき、失敗する勇気も必要です。
創造的なことをする人間にとって、常に進化していくことが重要です。
怖いことではありますが、今ではその恐怖も“友だち”にできます。
少し怖いくらいなら『正しい位置にいる』と受け止めています。」
超絶イケメンなコメントですね。
自分を他者と比べ、過少に見積もることの本当のリスクはそれがクセになることです。
負ける前から、布石を打ってダメージを軽減させるという、経験から編み出した処世術なのかもしれませんが、
連敗が続いている時だからこそ、
暗い夜空の向こうに輝く星々から自分の道を見つけ出したいものです。
路上の石につまずいても、転んでも、
上を向いていれば、小さな奇跡が見つかるかもしれません。