吾輩はときどき猫である[追記]

前回の記事で無難にまとめたつもりではありましたが、

日が経つにつれて、しっくり来ない部分が無視できなくなってきたので、補足として書き足したいと思います。

これからはもっとグローバルでローカルな素敵なお店になるよ」という趣旨のメッセージで受け取られた方も多いかと思います。

しかし、現実としては険しい道のりです。

みんな違って、みんないい」といった牧歌的な世界は嫌いではないのですが、

自分と真っ向から対立する価値観を持つ存在を受け入れるためには、

表面的な平和主義とは裏腹に自己矛盾や葛藤に向き合う果てのない戦いの日々が続きます。

多様な視点の活用(ダイバーシティ論)は魅力的ではありますが、

事業として成功していない事例を目にすると、安易な結論は控えたほうが良いなという気分になってしまいます。

部分の集合が総体ではない」という現象に対して明確な解答はありません。

それでも、ソース(源)との溝を埋めるために、自分の心の羅針盤で舵を切ってゆきたいと思います。

今後もワケの分からんことをつぶやくかもしれませんが、

生暖かい目で見守っていただけると幸いです。

吾輩はときどき猫である[ファイナル]

そろそろ、本当にまとめに入らないと不味いような気がしてきました。

それなりに反響はあるものの、

「あ~この人、相当こじらせちゃってるわ。盗んだバイクで走り出しちゃう、アカン奴だわ。」なんてコメントが入りそうです。

そうなる前に次の話に移りましょう。

 

今回のお題は「グローバリズムを斬る」です。

工芸とは無縁のテーマに感じるかもしれませんが、身近に迫る危機としては

かなり深刻なレベルにまで達していると感じております。

グローバル化は「人・物・金・情報」が自由に行き来する世界は素晴らしいと考える人達が進めている政策です。

 

良い面は確かにたくさんあります。

他国を武力で制圧することなく、国家間の垣根を取り払うことが出来るので

地球規模の環境問題などにはスピーディーに対処できるでしょう。

しかし、一方でほとんどの製品の生産性が向上したことで、

物流規模が拡大し、結果的には貧富の格差が社会問題となっています。

今後、AI技術の独占が行われると、中間層の消滅は確実です。

 

さて、あまり政治的な方向に行ってしまっても、専門書には及ばないので

表現を変えて、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 

例えば、「ロックンロールスピリット」と表現されることがありますね。

ハード&コアな演奏で世界中を熱狂させる、激しいビートを刻むアレですよ。

なぜか「ロックンロール・ソウル?」とは呼びません。

その違いはどこにあるのでしょうか??

色々調べてみましたが、霊魂などの意味はこの際、除外します。

創業者や指導者の「spirit 」を継承するなど、組織やチームには使われますが、民族や伝統、風習などに対しては「soul 」がしっくりきます。

どちらも、同じようなニュアンスではありますが、違いを考えてみることで

我々が直面している問題に対して何かしらの解決のヒントが得られるような気がするのです。

 

「ソウル」は長期的な時間と土地に由来する情感を伴うものなのに対して、「スピリット」はどちらかと言うと理性的なロジックを感じます。

 

グローバリズムに話を戻します。

国際的なスケールで規格を統一して価値観を皆で共有しようとするなら、

「スピリッツ」に相当する概念になります。グラフで例えるなら、横軸です。

一方で、地域に根付く伝統的な価値を世代を超えて伝承してゆく行為は「ソウル」の領域となります。グラフでいえば縦軸です。

X軸、Y軸に変換して視覚的に捉えるとすっきりしますね。

どちらがより優れているという類のものではなく、双方の違いを尊重することで新しい視界が開かれます。

どちらか一方を悪と断じたところで、問題が解決しないのはベクトルとして正しく捉えていないところにあるかもしれません。

 

これまでに、「最適解」や「人工知能」や「グローバリズム」を敵対視してきましたが、

今後はむやみに毛嫌いせずに、認識を常に更新してゆくことが、必要だと気付いた次第です。

そして、ここから新しい活動方針とサービスを皆様に提供してゆきたいと決意を新たにしたところで、

このシリーズの幕を降ろしたいと思います。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました

 

 

 

大人のための科学ものづくり教室

先日、川口市科学館で「いきいきサイエンス~大人のための科学ものづくり教室」が開催されました。

午前と午後、合わせて2回の講座「ガラス細工のペンダント・トップ制作」の講師として招かれて

無事、終了しました。

という、事後報告でございます。

「何で事前に告知せんのじゃ!!」ぷんぷん#

と・・・・お怒りの方も多くいらっしゃるかとも思います。

実は今回のこのオファー、

バーナーワークでの制作」という条件をうっかり引き受けたのはいいですが

ほぼ、専門外の未知の分野でありまして、・・・・

今回はさすがにちょっとリアルに危機を感じました。

過去の講座では切子制作や「マリン・スノードーム」「透過と反射の照明」「キラキラジュエルスティック」

などなど、数々の怪しげな企画タイトルを通してきた実績と申し込み枠を埋めた自負はあるのですが、

公共施設で火を扱うことの重責は予想以上にのしかかり、

さらには初心者でも制作可能お土産としても魅力的、なおかつ予算内にもばっちり収めますよ。

みたいなことも、調子よく請け負ってしまったので、反省が山盛りとなってしまったのでした。

 

それでも、参加者の多くが喜んでお帰りになられたので、まずは成功と言っていいと思います。

今年夏にも子供を対象にした講座が企画されるかもしれません。

それまでには、さらに改良したデザインと制作を考案したいと思います。

 

 

吾輩はときどき猫である [その5 ]

ナントっ!!

この吾輩シリーズを「ぜひとも、続けていただきたい」というお便りをいただきました。

自分の中ではそろそろ風呂敷を畳もうかという気分になっていたのですが、

こうなっては、引き伸ばし作戦に転じるしかないですナ。

それでは、長年我々を縛ってきた元凶に対し、もう一太刀浴びせてからこのシリーズの幕を降ろすとしましょう。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

学生時代には学校の先生やら先輩達から、何かと叱咤激励を受けるも

それらに反論する智恵も無く、モヤモヤだけが沈殿してゆくという不毛な時期が続きました。

時は昭和です。

今にして思えば、納得のいかないものを無理やり飲み込んで、先送りするという

ストレスのハイパー・インフレ状態でありながら、

それでいて、表面上はそれなりに適応していたのですから、我ながら歪んだ青年期だったと思います。

バブル期だったこともあり、多少の違和感や疑念なんてものは、時代の勢いに押しやられてしまって、

いつしか大人になってしまいました。

24時間戦えますか?

答えはNOです。

しかし、当時はこんなフレーズが流行ったんですね。

 

今回のテーマは「抗う」です。

いわゆる、「正論」に対してのアンチテーゼを掲げ、世の多数派に立ち向かってみたいと思います。

 

どこかで、こんな喩えを読んだ覚えがあります。

山の頂点ではすべての方向に転がる可能性を持っていますが、

ひとたび転がりだすと、360度の視界は失われ、

可能性の数字は加速度的にゼロへと近づいてゆき、

やがて約束された結末へと収束してゆきます。

 

人生の後半戦に突入している、中高年には沁みる話ですね。

先行き不透明な状況であるほど、

損切りからの小さな利益確定を細かく刻んで、大きく負けない戦術が正解です。

やりたいことではなく、出来ることをやれ

配られたカードでベストなパフォーマンスを確実に発揮することが求められる時代です。

夢はあきらめるな」などと、今の若者に吹き込もうものなら

お前に責任が取れるのか!!と炎上しそうで怖いくらいです。

 

ですが、敢えて言わせていただきたい。

正しさで本当に幸せになれるのでしょうか?

すべてにおいて、完璧さを追求し、正確無比なるジャッジメントを体現しているかに見える優秀な人物が人知れず、

強迫性障害で通院していたりします。

極端な例ではありますが、想像以上に多くの人が疲れていることに間違いはありません。

肉体的にはドーピング出来ても、精神的な消耗は限界に来ていると感じている人が身近にいらっしゃるのではないでしょうか。

 

優劣を競うレースから少し距離を置き、コースアウトしてみるのもいいでしょう。

そして、時が経ち、立ち上がる力がわいて来たならば、

今まで背を向けてきた方向に向かって

歩き出してみるいうのはどうでしょうか。

皆が目指している方向とは全く反対の方向へ

人口過密な平野ではなく、山の頂を目指す自分だけの旅に出ましょう。

自分のかけがいのない人生に、「現状維持」という緩やかな下り坂はいらないと宣言するのです。

 

すると、可能性の数字はカウントダウンから一転し上昇ラインを描き出します。

山頂へのルート選択はもちろん、装備なども自分に合ったものを選べるし、速度も自由に変更が可能です。

そんなイメージです。

その一方で失敗するリスクも増大するので、恐怖心に向き合わねばなりません。

チャレンジを続けることの大切さは様々な偉人が語っておりますが、

今回は遅咲きの名優ヒュー・ジャックマン氏の名言をご紹介します。

(体育の補助教員→ピエロ→俳優という経歴)

「いつも新しい何かを学べることを選んでいます。
それには未知の領域にいき、失敗する勇気も必要です。
創造的なことをする人間にとって、常に進化していくことが重要です。
怖いことではありますが、今ではその恐怖も“友だち”にできます。
少し怖いくらいなら『正しい位置にいる』と受け止めています。」

 

超絶イケメンなコメントですね。

 

自分を他者と比べ、過少に見積もることの本当のリスクはそれがクセになることです。

負ける前から、布石を打ってダメージを軽減させるという、経験から編み出した処世術なのかもしれませんが、

 

連敗が続いている時だからこそ、

暗い夜空の向こうに輝く星々から自分の道を見つけ出したいものです。

路上の石につまずいても、転んでも、

上を向いていれば、小さな奇跡が見つかるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

吾輩はときどき猫である [その4 ]

さて、このシリーズも[その4 ]までやってきました。

どこまで続くか分かりませんが、そろそろ回収する方向に舵を切ってゆきたいと思います。

前回はコスプレについて語ってみましたが、出発点は「最適解」へのレジスタンスでありましたので、

流れを元に戻します。

たくさんある選択肢の中から、状況と目的に叶う最も適した解答、

それが「最適解」です。

今回はその危険性について、語ります。

 

現代社会では衣食住に不自由することなく、文化的な生活を謳歌しているはずなのですが、

なぜか解決されない問題が山積みです。

確かに便利にはなりましたが、豊かさとはちょっと違うような気がします。

子供の頃とは比べ物にならないくらい社会の動きは加速して、すべてがグッと圧縮されているはずなのに

近年はとにかく、時間が慢性的に足りない状況です。

 

目的地に到達するのにかかる料金、時間、ルートそれらを瞬時に表示してくれる便利なアプリがあります。

GPSでリアルタイムに現在位置から混雑状況までを懇切丁寧に知らせてくれるので、まさに至れり尽くせりのサービスです。

将来的には自動運転技術が普及すれば、ストレスから完全に開放されてドアからドアまで運んでくれるようになるでしょう。

ここから、導き出される選択肢はほぼ一つに絞られます。

一本道しかないのです。

これが「最適解」とします。

 

ところが、これが万能かと問われれば、そんなわけではありません。

入力内容や使用するその時々の気分によって、その人個人の「最善」は常に揺らいでいます。

ですから、局所的な近似値なのです。

そうは言っても、問題にする程の大きなズレではないので、困ることはまずないでしょう。

主に感情的な違和感があるだけです。

円周率を3で代用するような、「ちょっと嫌だな」という感覚です。

「それで、いいんだよ。」というニーズが圧倒的多数だろうということも承知しております。

 

それでも、少数派のささやかな抵抗として提案させていただきたいのです。

私が考える豊かさとは

ぶらり途中下車の旅です。

確かに、とんでもない不味い定食屋に遭遇したり、1時間に1便しかないローカルバスに乗り遅れたりするかもしれません。

愉快で楽しい旅だとはちょっと、言いがたいのではありますが、

今この瞬間から分岐する可能性が無限に存在することの豊かさとワクワク感があります。

 

小学生の頃まではキラキラした未知への好奇心に溢れていたという記憶があるものです。

年を重ねるにつれて、そんな日々が実は何ものにも代えがたい大切なものだったと、思えてくるのではないでしょうか。

その人だけの唯一無二の時間がそこには流れています。

 

もし、100パーセント的中する占いが存在するとして、

皆さんは利用したいと思いますか?

もし、変えられない未来があるとするのならば、それはもはや呪いと言ってもいいくらいです。

 

幸せを定義することは難しいですが、

現状がどんなものであれ、無数にある選択肢から自由に選べる機会に恵まれること。

それが幸せのひとつの要素なのではないでしょうか。

微妙なラインを描く自由がある。

ローカルでローテクでローコストの怪しい活動は「最適解」から最も遠い、ふざけた生き方なのかもしれません。

ですが、人生という長い旅を終えた後に、くすっとこみ上げるものに包まれて、微笑ましく思えるならば、それが正解なのだと思うのです。

 

 

 

 

 

宇宙の風に乗る

明けましておめでとうございます。

2019年が始まりました。

5月1日には元号が変わるそうなので、今年は特別な想いで新年の幕開けを迎えております。

新年初投稿となりますので、今回は今年の抱負を語ってみたいと思います。

毎年、吹きガラス教室の生徒さんには、作品を入れるカゴに名前とその年の目標を書くようにお願いをしているのですが、

近年はなかなか、謎の理由で気持ちよく書いてもらえません。

そこで、講師自らが模範を示す意味で、恥ずかしいスローガンを掲げてみせましょう。

題して「宇宙の風に乗る」です。

正確には「るーらら~♪ 」が頭に入るという一見、ふざけたお題ですが、

かなり本気です。

 

当工房は2002年にオープンして以来、今年で17年目、

一貫して向かい風に逆らうように自転車でキコキコとペダルをこぎ続け、

操業をしてまいりましたが、ここらで根性エンジンから脱却し、

全く新しい理論で前進をしてゆきたいという強い想いを込めての所信表明となりました。

 

今回提唱する「宇宙の風・理論」は文字通りの意味で受け取ってしまうと

誤解を招きやすく、良識ある一般の方々からは距離を置かれてしまうことでしょう。

ですので、もう少し、丁寧に説明します。

 

」を世の中の風潮や時代の潮流に置き換えると分かりやすいかもしれません。

最近では顧客行動履歴のデジタル情報から戦略を練り上げるという手法で大手メーカーは、商品開発をしている状況

ですので、新規参入する隙を見つけるのも大変です。

個人の努力によっては、社会的ムーヴメントを引き起こすことも可能ではありますが、

感性や直感で長期的に勝ち続けるのはやはり難しいと考えます。

 

そこで、予測が難しい地表近くの大気の動きを読むことはあきらめて、

さらに上の衛星軌道くらいの領域にフォーカスするのが、よろしいのではないかと考えました。

 

宇宙の風とは?これいかに??との疑問は残りますが、

そのくらい壮大な理念で展開したいという心意気で表現してみました。

 

一つのビジネスモデルの寿命が短くなってきているそうなので、

より高く飛び続けるために大手企業にはない軽さとスピードが必須となります。

 

でっかくて重いエンジンを取り外し、

極限まで要らないものを削ぎ落として、安定した競争のない世界を目指します。

 

たくさんの人が集まって情報が集まる

まずはそういった地域コミュニティーを作る事が目標です。

工房横に小屋を建てているのは、そんな理由からです。

最終的には利益というものを視野に入れての運営にならなければなりませんが、

地域に根ざした「信用」が築かれるならば、時間はかかるかもしれませんが、

それは自ずと達成されるはずだと思っています。

 

もし「宇宙の風」が

止むことなく優しく、吹き渡り、心地よいものを運んで来る風であるならば、

きっと、多くの人が感じてみたいと思うことでしょう。

Don’t think,feel so good!!

るーらら~♪ う~チュウーの風にのーる~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プレイ・バック2018

2018年も残すところ、あと数日となりました。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

明日も体験のお客様がいらっしゃるので、気が抜けませんが、

おかげさまで、本年も無事終わることが出来そうです。

今回は2018年をざっと振り返り、新年へと繋いでいきたいと思います。

毎年この時期になると同じようなことを感じて、反省して・・・の繰り返しをしてきましたが、

2018年は例年とは明らかに違う展開がありました。

一つは工房横に建設中の小屋の外観がようやく整ってきたことです。

「あの人何をやっているんだろうか???」と遠巻きに見ていた近所の人達の反応がここ数ヶ月で

「すごく、楽しみにしているんですよ~♪」に変わってきたことに驚いています。

セルフビルドでここまでの形にするのに約2年の月日が流れてしまいました。

まだまだ、完成には遠いのですが、ある程度の仕上がりに達しましたら、運用していきたいと考えています。

 

世の中には

特別なスキルとキャリアを持ちながら、普通に主婦をしているなんて方が想像以上にたくさんいらっしゃいます。

本職よりも趣味に多くの時間とお金をかけている

そんな人達です。

ひっそりと、自分だけで楽しむなんて、もったいない話だと思いませんか?

そうした人達が集い、楽しい企画を立ち上げ、夢をカタチにしてゆく。

そんな秘密基地のような場所にしたいと考えています。

今までは壮大なホラ話として、スルーされていましたが、最近は新しい出会いも多くなってきていますので、

もしかして、何とかなっちゃうかも~☆

と妄想を膨らましている今日この頃です。

 

さらに最近の出来事として、

「街ドキ」というフリー・マガジンに埼玉県人が選んだデートスポット百選として掲載されました。

名だたる有名処と並んで扱われているので、ビビります。

本人が思っている以上にネット上では評価されているのかも???しれません。

埼玉の皆様!!ありがとうございますっ!!

 

そして、毎年の事ではありますが、様々な教育関連施設とのお仕事で若い人達との交流を持てたことを嬉しく思っております。

今月は浦和美術専門学校の生徒さんが来てくれました。

2019年はさらに多くの人達と繋がって、もっと地域社会に貢献できるように頑張っていきたいと思います。

 

それでは、皆様よいお年をお過ごしください。

本年もまことにありがとうございました。

 

名誉お兄さん

最近は街を歩いていると、近所の小学生から手を振ってもらえたり、

指を差されたり(良い意味でだと・・・たぶん)するようになりました。

ぎこちなく、手を振ったりすると「笑顔が自然じゃない!!」などとダメ出しをされることも・・・・・

「芸能人かよ!!?」と心の中で反撃するも、子供相手なので爽やかな対応を心がけています。

これもひとえに、校外学習などを通じて、顔が知られるようになったことの証として光栄に思っております。

 

彼らには憧れの対象として輝いていなければならないと、勝手に使命感に燃えている今日この頃です。

「ねぇ、ねぇ、お兄さん~」などと声をかけられると、

「ムむ%#!きみは若いのに、なかなか見所があるな!」と調子に乗って余計な話をしてしまいます。

色々と大人の事情もあるんだよ~。

今後の日本の将来を担う可能性溢れる子供達には吹きガラスの

カッコよさ」と「感動」と「稼げる」の3つのKを身をもって示してあげたいなと思うのであります。

先日、小学2年生の皆さんから、たくさんのお礼のお手紙をもらいました。

これからもこの町のためにがんばってください。 」

というメッセージに目が止まりました。

「おう!!まかせておきたまえよ。」

この町の立派なガラス屋さんになるよ。

 

 

 

 

 

 

 

吾輩はときどき猫である [その3 ]

ブログ読みましたよ。」

このような言葉を複数のお客様からいただきました。

もしかして・・・・続けていいんですかね?

このシリーズ。

勝手な妄想から始めてはおりますが、若干の支持があるということで、

勝手ながら、もうしばらく、続けさせていただきます。

 

~* ~* ~* ~* ~* ~* ~* ~* ~* ~* ~* ~* ~* ~* ~*

ビジネスの世界では

1匹の羊に率いられた100匹のライオンの群れと

1匹のライオンに率いられた100匹の羊の群れ が戦った場合

後者の方が勝つといわれております。

調べてみると

「私は一頭の羊に率いられたライオンの群れを恐れない。しかし一頭のライオンに率いられた羊の群れを恐れる」byアレクサンドロス3

一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れは、一頭の狼に率いられた羊の群れに敗れる。byナポレオン

など、偉人の格言から派生した話のようです

 

ライオン??の話?なの・・・

唐突の例え話で、もしかしたら、読者の皆さんは困惑気味かもしれません。

 

今回はコスプレを語ると宣言しておりますので、なんとか

無理やりにでも、そっちの流れに盛っていきたいと画策している次第です♪

というわけで、強引に設定を変えて「実際は羊が着ぐるみを被っているライオンの将」

ということで話を進めてまいりましょう。

着ぐるみのクオリティー次第で、説得力が変わってしまう恐れもありますが

本物のライオンに対しては間違いなく、「ニセモノ」なわけですね。

それでも、着ぐるみのライオンで勝てるのか?疑問です。

 

勝敗の分けれ目は

ライオン・コスプレをどこまで本気でのか?

ゲージを大きく振り切る程の「自己肯定力の強さ」にかかっております。

 

「心」と「言葉」と「行動」を完全に一致させ、長期にわたり演じ続けた場合、

立派なライオン・コスプレという個性と社会的認知を獲得したことになります。

影響力という点ではそれはもはや、本物と大きな違いはありません。

 

くま○ん や ふ○っしー の中には当然ですが

どなたかが入っております。(異論は認めます。)

あなたが着ぐるみを被ったとしたら・・・

 

想像してみてください。

ごくごく、自然に

キャラクターが瞬時に変わるはずです。

恥じらいながらも、

楽しく、愉快に演じることが出来るのではないでしょうか。

 

日常的に、家庭や職場や学校など、時や場所、環境が変わることで自分を表す一人称が微妙に変化します。

「私」「僕」「わたくし」「俺」 等々

一人称が変化し、TPOによって使い分けるのは日本人独特の感性であり、世界的にも珍しい事例です。

 

ここが重要です。

アイデンティティーは常に普遍的で均一に保たれる必要はありません。

仕事上では責任が発生するかもしれませんが、プライベートではキャラ変更をしても、さして咎められることはないでしょう。

組織でのわずらわしい人間関係のもつれを忘れようとすれば、するほど、

不眠の夜は続き、不安と恐れからアドレナリンが分泌されて、負の記憶がさらに強化されるそうです。

忘れたいのに、忘れられない。

そんな、慢性的なストレスの連鎖から開放されるために、

お気に入りのコスチュームで身を包み

別人格になってしまうことで、

こころをもみほぐし

浮世を忘れるというのも、現代人の智恵なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吾輩はときどき猫である [その2 ]

ブログ記事を連載&シリーズ化するつもりで「その1」と銘打ったものの,

新シリーズばかりで「その2」はどうした?の?と感じていた方がいたかもしれません。

お待たせしました!!待望の「ときどき猫その2」でございます。

(新しくサイトを立ち上げて、初めてコメントが付きましたので少し浮かれております。)

 

さて、前回はどんな話だったかと言いますと「最適解が支配する近未来への対応策を提案するよ~

と息巻いておりました。

さらに、解決のヒントは日本古来の伝統文化にあるべし!!請うご期待でござるよ。

と煽りまくったところで終わりました。

なんか、徳川埋蔵金伝説で穴掘り続けている怪しいオジサンみたいですが、

まあ、半分騙されたつもりで、しばしお付き合いください。

では、よろしくお願いします。

 

昨夜はハロウィンでしたね。渋谷の街はコスプレをした若者で大賑わいで

痴漢や窃盗など、あまり良い報道がされませんでしたが、皆さんはどのようにお考えでしょうか。

何か良く分からないうちにイベントとして担がれて、騒ぎたいヤツらが集団でやりたい放題やっているといったイメージでしょうか。

現在ではバレンタインデーに匹敵する経済効果があるそうなので、各業界の大人の都合で無理やり盛り上げているという部分があるのかもしれませんが、

ここまで、定着するということはそれなりに必然性があるのかもしれません。

 

ハロウィンの元々の起源は古代ケルトのドルイドの信仰からが由来です。

ざっくり、言うとアニミズム(自然信仰) 万物や自然現象すべてに霊魂や精霊が宿っているという世界観は日本神道に通じるものがあります。

のちに生まれたキリスト教(一神教)に駆逐され、敗戦や植民地化によって、こうした土着の信仰は先進国では、ほぼ日本を除き絶滅状態であるのが現状です。

そういった古代の精神性が都市型のお祭りとして日本の若者の間で形を変えながらも受け継がれていると考えると、ちょっぴりセンチメンタルな気分にならないでしょうか?

 

自分ではない何者かに扮し、精霊や有象無象に姿を変えて、街を徘徊することが現代人に何かしらをもたらしている。と仮定してみましょう。

広がる格差社会。先行き不安な閉塞感、行き場のないストレス

それらが、認識されることなく、深層意識の深い闇の底に封じ込められ続けている日々。

名もなき、負の感情がカタチを成すことを許される夜。

妖怪や怪物、魔女や魔法少女に・・・果ては美少女戦士に変容することで、解放されるカオスの宴。

 

正しい行いではないかもしれませんが、人々の中に闇がある限りはどこかで解き放たれる必要があるでしょう。

ガラス工芸を語らなければならない立場ですが、いつかはここに切り込んでゆきたいと思っています。

次回はコスプレについてです。

その3もあるよ。たぶん・・・・