吾輩はときどき猫である その1

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夏目漱石の「吾輩は猫である」はもはや説明が不要なくらいの名著ですね。

今でこそ、アニメの影響で、猫がしゃべったりはもちろん、

バスに変身したり、未来からやって来て、宿題のお手伝いまでやってくれる演出に至っても!!

「うん・・まあ、そういうこともあるよね。」みたいな受け止められ方がされるような世の中になりました。

しかし、100年以上前の当時の人々は小説の冒頭から「吾輩は猫ですが、何か問題でも??」みたいな出だしで、

猫目線で社会を風刺する

とんでも設定にあっさりと納得したのでしょうか?

調べてみると、当初は読みきりの予定だったものが好評のため、翌年まで全11回掲載に変更された人気作品だったいうことです。

その後も吾輩シリーズのパロディが世に出たということですので、実際には非常に好まれたということですね。

これは、猫に限ったことではなく、「鳥獣戯画」などに見られるように、

擬人化という様式は日本人の感性に合っているのかもしれません。

万物に個別の神が宿るという神道的なアニミズムから捉えれば、

アンパンが空を飛んでも、OK牧場です。

戦艦や戦闘機が女人化しても、萌えですから、

批判なんか出ませんよ。「南総里見八犬伝」と比べても許容範囲です。

前回の記事では

最適解が支配する近未来に対し、

対抗策を提案する!! 

と・・・・

大それた企画を立ち上げましたが、

実は日本古来の伝統様式こそ解決のヒントがあると考えております。

しばらくは、何回かに分けて詳しく掘り込んでゆきたいと思います。

そして、最終的にはここで得た気付きを生かして

当ガラス工房の新しいサービスにまで反映させる予定です。

どうぞ、ご期待ください。

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